作文1回目
中の奴は外の世界に無頓着だ。そんな大きな仲間を物珍しく思って、ふわふわ飛んでいた奴らが集まってきた。水槽に顔をべったりとくっつけて覗き込んでいる。中の奴は平然とすました顔をしている。この大勢の観衆に気づいていないのだろうか。捕らわれているのか。そんな中の奴を不憫に思ったのだろう、小さな粒たちは互いに体を押し集めて、少し大きな粒になった。所々で円陣が組まれて大きな粒が増えていく。それぞれが透明な壁を何とかしようと体を押し当てて躍起になっている。しかし、びくともしない。体ばかりが大きくなる。ついには力尽きてズルズルと滑り落ちていく。重くなった体は落ち始めるとあっという間だ。下にいたほかの仲間たちも道連れにしながら落ちていく。中の奴は相変わらずつまらなそうな顔をしている。足元には、奴らがさらに大きな塊となって横たわっている。
講義の感想
想像力のふりをする”概念”
想像力豊かな人に憧れた。想像力とは目の前にないものを頭の中に思い浮かべる力であり、それが現実離れしているほどすごいものだと思っていた。そして、自分がある事物をうまく頭の中に思い描けたと思えたときには得意にもなった。
まさに、現実から目を背けていたのだ。私が想像力で生み出したと思っていたものは、ただの一般化された概念だった。個性のかけらもない。そこから脱出することこそが想像力の為せる技だが、普通の人間なら概念にメッキを塗る程度のことしかできないだろう。
そこで、現実世界に目を向ける。目の前にあるものを観察するだけだ。私たちは大人になるにつれて観察をしなくなる。これは、頭の中の染みついた既成概念が、すべてのものを一般化して、観察の必要性を奪ってしまったからではないだろうか。
「観察」と「メモ」。一つの対象物に真摯に向き合うことこそが、感受性を豊かにし、洞察力を高める。そして、自分にしか見えないものが見えたとき、はじめて個性が生まれるのだ。
今回の反省
「メモ」をないがしろにしてしまった。というのも、いい案が思いついた気がして、すぐに飛びついてしまったのだ。そのせいで、真ん中あたりで筆が止まってしまった。
「テーマを一つに絞り突き詰めること」と「一つのテーマを薄く延ばすこと」は違う。
腰をすえてじっくり「観察」と「メモ」をする。書きたくなっても3回くらい堪える。
作文2回目(講義の後)
透明なコップに透明な水を注いだはずだ。それなのに、しばらくするとコップが白くなった。白をこすってみると、指が湿っている。どうやらいつの間に、細かい水の粒に覆われていたようだ。この水はどこから来たのだろう。周りを見渡しても、このコップの水しかない。目に見えないほど小さな穴が無数に空いていて、少しずつ染み出しているのだろうか。心なしか水面の位置が少し下がっているような気がする。心なしかだが。もう少し近くで見てみようとコップを持ち上げて顔に近づけると、先ほどよりも白が濃くなった。掴んでいる指の周りも白みが増している。原因を究明するために、一度コップを机の上に戻した。私はハッとした。原因は温度だ。コップの穴は温度が上がると広がるのだ。私の体温で穴が広がり、染み出す水の量が増えたために白が強くなったように見えたのだ。そうに違いない。
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