抒情とは自分の感情を述べ表すことである。この作品は、ある霊感を持つ女が、かつて自分を捨てた男の死を知り綴った、手紙のような形式をとっている。
内容は、自身の過去の記憶や男への感情に加え、西洋東洋の宗教をふまえた、独自の死生観について語られている。これは、川端康成の死生観を女に語らせたものである。
〈釈迦は輪廻の絆より解脱して涅槃の不退転に入れと、衆生に説いていられるのでありますから、転生をくりかえしてゆかねばならぬ魂はまだ迷える哀れな魂なのでありましょうけれど、輪廻転生の教えほど豊かな夢を織りこんだおとぎばなしはこの世にないと私には思われます。人間がつくった一番美しい抒情詩だと思われます。〉
仏教においては、輪廻転生をくりかえさないことが目標とされているので、輪廻転生を行っているうちは、不完全な状態である。しかし、その輪廻転生という考えこそが、素晴らしいというのが川端康成の見解である。そして、この輪廻転生は、人や動物に限られているが、この世に存在するものすべてがその対象になる方がよいということも語られている。
この考え方を「汎神論」とする意見もあるだろう。しかし、私がこの短編小説の中で一番印象に残っている文は、この「汎神論」とする意見に対する反論である。
〈科学者は物質を造るもとともいうべきものをこまかくたずねてゆけばゆくほど、そのものは万物の間を流転するとしらねばならなくなったではありませんか。この世で形を失うものの香があの世の物質を形づくるというのも、科学思想の象徴の歌に過ぎません。〉
私たちの体は原子の集合体であり、私たちが死んでも、その原子は同じく原子の集合体である別のものの一部になる。これも一つの転生と言えるのではないか。
輪廻転生といえば、三島氏の「豊穣の海」が記憶に新しい。彼はこの輪廻転生を材料に世界を解釈しようとしただけあって、かなり論理的に文章を展開していた。しかし、材料が材料だけに、その論理には多少の押し付けがましさも感じた。
この「抒情歌」は、論理的ではないにしろ、「せっかく、輪廻転生という素敵なアイデアがあるなら、こう考えた方がもっと素敵になるんじゃない?」という、川端氏なりの提案なのではないだろうか。
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