川端康成が中学時代に寄宿舎で一室に暮らした清野少年。彼との愛は、中学時代の日記、高等学校時代の手紙、大学時代の「湯ヶ島での思い出」と、学生時代長き渡って綴られていた。五十歳になり全集を出す際、この三つを読み返し、並べ、言葉を添えながら結び合わせたものが、この『少年』という作品である。
「湯ヶ島での思い出」の前半部分を書き直した、『伊豆の踊子』は初期の名作として知られている。
〈お前の指を、手を、腕を、頬を、瞼を、したを、歯を、脚を愛着した。僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していたと言ってよい。〉
これは、高校時代の手紙の一節だが、なかなか激しめのラブレターだ。「愛着」という言葉が、ねっとり感をさらに強めている。
しかし、〈愛の初めもその流れも自然で安穏であったのが、思い出をやわらかく温めている。〉というように、実際は激しいものではなく、肉体的には添い寝の延長程度だったよう。
寄宿舎、男同士の恋愛と聞いたら、まず一番に森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を思い出す。しかし、これは主人公が男を愛したわけではないので、心情などはまったく異なる。そういう点では、三島由紀夫の『仮面の告白』が、男への愛着を細かく描写している。しかし、こちらは、完全に性的対象としての男の魅力を生々しく描写しているため、プラトニックな『少年』とは、また一線を画している。
清野少年との思い出がメインだが、ノーベル賞作家、川端康成の学生時代の生活も知ることができる。文学の道へ進むことは決めていたようで、それに対する自信も感じられる。文庫本の表紙には、「川端文学の知られざる問題作、初文庫化」とうたわれていたので、どんな危ない内容なのかと思っていたが、普通の甘酸っぱい恋の思い出が綴られていた。自分の心を「畸形」と思うようになるほど、身内の死に見舞われ、天涯孤独となった学生にしては、むしろ健全ではないだろうか。
しかし、普通とはいっても、文豪の学生時代だけあって、文章はやはり素晴らしい。中学時代の日記に出てきた表現、〈夜は水のような月光。〉という表現は、『雪国』のあの冒頭部分の片鱗を感じた。
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