虹いくたび

建築家の父、水原と母が異なる三人の娘、百子、麻子、若子。顔も性格も全く違う三姉妹。百子の母は、自殺した。水原と唯一結婚した麻子の母が、百子と麻子を育て、その麻子の母も亡くなり、現在は、水原、百子、麻子は東京に3人で生活している。若子は元芸者の母と共に京都で生活している。どこか、相続争いなどのきな臭さを想像させる設定だが、そのような事件は起きず、穏やかである。

母の自殺と恋人の戦死を経験した百子は、心に大きな闇を抱えている。行動にもなげやりなところがあり、そんな姉を麻子は心配している。麻子はとにかく人がいい。百子は、そんな麻子の善意の押し付けがましさに疎ましさを感じてはいる。しかし、理解しあえない部分を持ちつつも、姉妹としての愛情の上に良好な関係が成り立っている。

その点、三女の若子との関係は全くの他人である。麻子の行動によって、離れた三姉妹の交流が始まるのがこの物語の舞台である。

麻子が京都の妹に会いに行った帰りに列車の中から見た虹、これが題名にもなっている虹である。「いくたび」というのがどこにかかっているのかは、読み解けなかった。「出会うことの少ない虹にあと何度出会うだろう。」という意味だろうか。虹の希少性は、人の一期一会に、虹の明瞭さは、人と人との親交の深さにそれぞれ繋がるのではないだろうか。

この物語の中では三姉妹が仲良くなるところまでは進まない。しかし、それぞれの感情には変化の兆しが生まれている。様々な色を持ちながらもひとつになるのだろうか。いつ消えるかわからない、儚さをたたえながら。

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