文章読本の目的
冒頭部分にこうある。
〈云わばこの書は、「われわれ日本人が日本語の文章を書く心得」を記したのである。〉
つまり、上手に書くための本である。しかし、読書論のカテゴリーで語るものではないかというとそうではない。文豪が長年の経験を踏まえ、文章についてあえて文章化したこの効果は、書くことに対する成果だけにとどまるはずがない。
内容としては、「文章とは何か」、「文章の上達法」、「文章の要素」と三章構成。それぞれが箇条書きで詳細に説明されている。川端康成の「新文章読本」とかなり重複する部分があるが、こちらのほうが整理されていて理解しやすい。
読書する意味
〈言語は他人を相手にする時ばかりでなく、ひとりで物を考える時にも必要であります。(中略)されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける〉
私は以前、「哲学って何のために必要なのだろう」と考えたことがあった。そのときに一端自分の中で出した答えは「言語を創造するため」である。つまり、哲学が生み出した思想は、言語という実体を得ることで初めて伝達を可能にし、その伝達された言葉が道標となって、またその先にある思想を生み出す。言語がなければ、その言語の意味する思想を考えることも難しい。このことから、文章を読み言語を知るということは、思考の精度を高めることにも繋がると言える。
また、〈文章の才を備えることは、今後いかなる職業においても要求されるわけでありまして、〉ともあるが、これは「書く」ことが減った現代にも通じることで、「書く」が「打つ」に変化しても、文章の必要性はいつの時代も変わらない。
これらを踏まえると、私が読書をする理由は、読む、書く、話すなど言語を使用するときに、それを自由に扱える感覚を磨くためだと言える。
感覚を磨くために
芸術において感覚というものは、先天的なものが大きいと論じられる。後天的なものもあるけれど、幼い頃の英才教育に勝るものはないだろう。この差を埋めることは難しい。しかし、〈心がけと修養次第で、生れつき鈍い感覚をも鋭く研くことができる。〉と谷崎先生は述べている。そしてその方法が、〈出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと〉と〈実際に自分で作ってみること〉である。
「何を読むか」
文章の才を備えるためには、やはり良いお手本を読むことは必須である。但し、良いお手本を読めばいいとは言っても、それはどのように選べばよいのか。そもそも文学において「良い」とは何なのか。
〈もし文章を鑑賞するのに感覚を以てする時は、結局名文も悪文も、個人の主観を離れては存在しなくなるではないか、と、そう云う不審が生じるのであります。〉
この本でも述べられているとおり、芸術や文化といったものの評価は、個人の好き嫌いに委ねられることが多く、優劣をつけることに疑問をもつ人も多いだろう。しかし、大衆だけでは芸術は発展しない。その道に精通したプロがいて、彼らの感性がさらに上を目指すことで、芸術は発展してきたのだ。また、その基盤には共通した学術的な側面があり、それは感性に頼る前の最低限の素養ともいえる。これは、絵でも音楽でも同じだ。
〈洗練された感覚を持つ人々の間では、そう感じ方が違うものではない、即ち感覚と云うものは、一定の練磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように作られている(中略)それ故にこそ感覚を研くことが必要になってくるのであります。〉
ということは、洗練された人々によって評価されたものは、良い手本といえるだろう。しかし、ここでまた疑問が生ずる。「洗練された人」とは誰なのか。まあ、これは文章で飯を食っていた人たち、殊に文豪と呼ばれている人であれば「洗練された」と言って間違いはないだろう。その中から誰を選ぶかはそれこそ好みの話になってくる。
「何を作るか」
「何を読むか」と異なり、何でもとりあえず作ってみることが大事だと思う。何を作るかが大事になるのはまだ先の話だろう。ものごとには、受容するだけの立場では見えない景色というものが確かに存在する。スポーツ観戦でも、そのスポーツの経験者とそれ意外とでは、見え方も楽しみ方も異なるだろう。そのどちらが正しいというわけではないが、仮にそれを批評するとなったときには、経験者の視点が分析力や説得力を与えてくれることは間違いない。私は読書の感想を単に「面白かった」で終わらせたくない。そのためにプレイヤーの視点で読書が出来るようになれば、細かい描写を流さずに味わえる可能性を高めることができるだろう。この書評自体もその延長線だが、もっと書くことを習慣化すれば、真似たい表現とかが目につくようになる気がする。書評だけでなく、日記や紀行文、書簡など日常生活に関わるものから、創作まで挑戦したい。
さいごに
最初に引用した目的の後に、〈文章道に大切なのは理屈よりも実際である〉と述べられている。やはり多くを読んで多くを書くこという体験こそが上達するための唯一の方法である。この指南書で述べられたことを意識しながら、今後の読み書きをより実りのあるものにしたい。
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