谷崎潤一郎本人が処女作だとしている短編。ある腕ききの刺青師が、刺青師としての宿願を果たす物語。この10ページほどの短編には、快楽や美、そしてフェティシズムなどその後の谷崎文学の主題となるものが凝縮されている。彼の文学においては、快楽や美というものが、肉体的、精神的な痛みと混ざり合うことによって、さらに甘く艶めいたものになっている。そして、それはこの『刺青』にも共通している。
刺青師には、人しれぬ快楽と宿願がある。快楽は、人が痛がる様子を見ること。宿願は、理想の体質をした美女に刺青を施すこと。これだけ聞くとかなりの変態性を感ぜずにはいられない。そもそも『刺青』という標題にも、どこかエロティックなものを感じた。私だけかもしれないが。
しかし、いざ運命の女性と出会い、刺青を施すときに、彼は麻酔剤を使用し女を眠らせている。眠った女は、痛みで顔を歪ませることはないので、この宿願の達成に普段の快楽は伴っていない。目を覚まして知覚を取り戻してからも、女の痛みに対してあまり頓着していない。最高の材料に最高の能力をぶつけたいとする芸術家としての宿願がある。そうなると、一見なめまかしい女性の肌や骨格に対するフェティシズムは、画家がキャンパスを選ぶのと同じ、芸術家としてのこだわりにすぎない。痛みや快楽は、美を求める過程にすぎない。
〈「親方、私はもう今までのような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。―お前さんは真先に私の肥やしになったんだねえ」と、女は剣のような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声がひびいて居た。〉
これは、物語の最後の場面からの抜粋だが、女は刺青を施されたことによって、刺青師の理想の女として完成している。ここで初めて美と性とが一致したように思う。痛がる姿を見て悦に入るのはサディストだと思われるのだが、最終的に到達したのは、強くたくましい女に攻撃されて喜ぶマゾヒストである。この強い女というのは、谷崎文学に登場する女性の一つの型となっている。
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