「鵙屋春琴伝」という一冊の書物と知人への取材から紡がれる、春琴と佐助の奇縁を描いた物語。谷崎文学最高傑作の呼び声も高い。
改行、句読点、鈎括弧などの記号文字を極力使わない特徴的かつ実験的な文体で書かれている。かな文学の特徴を継承し、日本語の可能性を追求した流麗な文体は、読みにくさをまったく感じないどころか、もともと谷崎文学にみられた心地よいリズムをより顕著に体感することができる。私は谷崎文学を発表順に読んでいるが、そうすると彼の作品がいかに実験的に書かれているかがわかる。そして、その実験は次の作品でさらに深い考察のもと行われる。今回の春琴抄での実験は成功したが、これは今までの実験の積み重ねの結果である。『盲目物語』などの歴史小説でみられた考証形式を採用しながらも、『卍』のような滑らかで艷やかな文体の特徴も持ち合わせている。
表現方法である技巧的実験を繰り返す裏で、表現内容である思想は一貫している。女性礼賛の極致、マゾヒズム。今までの作品でも多くのマゾヒストたちが活躍し、一方でその相手が華やかに描かれてきた。この一対は非常に繊細なバランスで調整されている。春琴を観念的にすることによって、佐助の性質がよりはっきりとあぶり出されている。春琴の攻撃的な性格や美しさは、佐助の異常性を表現するための手段といえるかもしれない。後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられると、佐助は理想の美を永遠のものとして観念の世界に閉じ込めるために盲目になる道を選ぶ。ここでマゾヒストの異常な行為は、芸術的な領域に到達した。
この小説は、これからの人生で何度も読み返すことになるだろう。谷崎文学の流麗な文体、そして女性礼賛の思想、それらの凝縮されたものを中編小説で味わうことができる。
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