卍まんじ

2組の男女の愛欲渦巻く関係が「卍」模様のように交錯しながら破滅へと向かってゆく物語。両性愛者の美女に翻弄された女が自らの異常な体験を告白する形式で描かれている。

舞台は大阪やであり、この告白も大阪弁で行われているところに、この作品の特異性がある。谷崎氏は東京の生まれであるので、その翻訳のために助手を雇っている。住まいを神戸に移し、地元の言葉に触れる中で、その甘味と流麗さに魅了されたことが、全編大阪弁の作品を制作する動機となった。

女性が使用する大阪弁は、作者が狙った通り、作品全体に甘美で流麗な空気が漂わせ、読者は過激なストーリーと美女の奔放で妖艶な振る舞いを円滑に頭の中に描くことができる。

この『卍』に登場する美女光子も、『痴人の愛』のナオミと同じような性質を持っていて、周囲の人は振り回されつつも、光子に依存し、その強い性格と対峙するときに快感を得ている。異なっているのは、光子自身が崇拝される対象となることに快感を得ていることが強調されていることだ。そのために、光子は周囲の人々に崇拝の餌をまき、かかったものを徐々にコントロールしていく。

この崇拝される者と崇拝する者の関係も、サディストとマゾヒストの関係に近いかもしれない。光子のように、崇拝されることに喜びを感じて、喜びを感じるために崇拝する人を必要とするのならば、それは相互依存ということになる。愛されるものは一見強者だが、それは愛してくれるものがいてこそだ。

この作品においては、愛されるものの数が少数のために、光子の悪女性が目立っているが、彼女も愛するものたちと同じように自分の快感に従い行動をしている。このように考えるとこの二者間には善も悪もないのかもしれない。

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