この本のページをめくると、序文が漢文であることに驚く。そしてこの小説を読み進めることに尻込みする。結果、漢文は序文だけだったので安心したのだが。えらいもので高校時代に学んだ淡い記憶を頼りに、なんとなくわかる程度には読むことができた。おおよそ「有名な武将には特殊性癖の持ち主が多くいて、その中のひとりが武将公である。」という内容だった。そして、武将公の特殊性癖というのが「被虐性的変態性慾」、つまり、谷崎文学のテーマである「マゾヒズム」である。この物語は、豪傑武州公の特殊性癖が目覚める過程を、架空の文献をもとに紐解いていくという形式がとられている。
共通のテーマである「マゾヒズム」は、今までの作品でも様々なアプローチで描かれていたが、どちらかというと、マゾヒストに愛された者たちにスポットが当たっていたように思う。例えば、『刺青』や『痴人の愛』などの作品では、「マゾヒスト」たちの視点で、その理想とする相手の姿が美しく描写されており、我々読者は、その理想への執着から、間接的に「マゾヒスト」の像を形成していた。一方、『武州公秘話』では、「マゾヒスト」にスポットが当てられ、「マゾヒズム」の発生について分析がなされている。
〈実際、幼い時に彼(武州公)が味わったようなあの不思議な快感は、恐らく誰もが少年の折に一度や二度は経験することのあるものなので、彼のみが知っている秘密ではないのであるが、それがその人の心に喰い入って一生の性生活を支配する程の病的傾向となるのは、たまたまその人がそれに誂え向きな四囲の状況の中に置かれて、繰り返し繰り返しその感情を呼び覚まされる結果である。〉
幼い時に、生首を洗いながら微笑を浮かべる美女の姿を見たことが種子となり、その後の環境的要因によって萌芽が促され、「マゾヒスト」となる。この『武州公秘話』では、種子の部分が全体の大半を占めており、かなり細かく、グロテスクに描写されている。とすると、その他の谷崎文学の多くが萌芽の過程を描いていることになる。歴史小説を選んだのも、戦国時代という環境が極端に過激な体験を選択しうる器であり、実験的な意味でも最適だったのかもしれない。『武州公秘話』は未完なので、萌芽の部分が少ないのが物足りなさを感じてしまうが、この実験は後の『春琴抄』に生かされているに違いない。
コメント