渡辺千萬子さんは、谷崎作品『瘋癲老人日記』の登場人物・颯子のモデルとなった方である。
昭和34年1月20日の書簡より、
〈僕は君のスラックス姿が大好きです、あの姿を見ると何か文学的感興がわきます、そのうちきつとあれのインスピレーションで小説を書きます〉
昭和37年5月23日の書簡より、
〈「老人日記」単行本が出来上がりました 近日署名しておくります この創作が書けたのは君がいてくれたお蔭です〉
『瘋癲老人日記』の内容が内容なだけに、モデルの性格と谷崎潤一郎との関係性を妄想せずにはいられないが、もちろん、谷崎潤一郎の願望と理想を現実世界と結びつけて創り上げられた想像の世界である。千萬子さん自身も語っているように、颯子ほどわがままではないし、ましてや谷崎潤一郎に対して性的な刺戟を与えようなどとは思ってはいなかっただろう。
周囲の人間が畏敬の念を持ち、おもねる態度で接してくるのに比べ、千萬子さんは自分の意見をはっきりと示す態度をとっていたそうだ。それで通っていたのは、谷崎氏が千萬子さんの美的感覚を認めていたことと、容姿が好みだったことが原因だろう。
この二人の関係性は、もちろん小説とは異なるが、谷崎氏の崇拝具合はなみではない。
〈私は私の崇拝するあなたに支配されるやうになることを寧ろ望んでいる者です〉
他人の意見を取り入れるためには、「崇拝」の感情が少なからずなければならないだろう。洗脳というのは、相手の自分に対する「崇拝」の感情を作り出すことだと私は考えている。おそらく、自分が格下だと思っている相手に洗脳される人はいないだろう。そこには精神的な上下関係が形成される。
芸術家は孤独な戦いであるが、それを乗り越え確固たる文豪の地位を築き、既に70歳を超えていた谷崎氏が、自信の無さや不安から、安息の地を求めて「崇拝」の感情に行き着いたとは考えにくい。
「崇拝する」こと、「支配される」ことに魅力を感じ、そこにあえて自分をはめ込んで、その関係性を楽しんでいたに違いない。もちろん、千萬子さんがその器に相応しいほどのハイスペックであったことも疑いようがない。 自分の崇拝している作家がいて、その作家に作品の結末にまで影響を及ぼす存在がいるとしたら、幻滅してしまうかもしれない。しかし、こと谷崎潤一郎に関しては、一貫性を感じてしまう。徹底したマゾヒストであり、そのマゾヒズムから湧き出るのは性欲ではなく、芸術家としての創作欲なのだ。
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