『盲目物語』の舞台は、戦国時代。織田信長の妹であり、浅井長政の妻であったお市の数奇な生涯を、按摩として仕えた盲人の視点で語った歴史小説である。
谷崎文学の一人称形式といえば、まず『痴人の愛』が浮かぶ。さらに、すべて大阪弁で綴られた『卍』が続く。聞き手が作者として存在している点では、『卍』がより『盲目物語』に近いといえる。この一人称形式が持つ臨場感は、かな文学を継承する流麗な文体によって、さらなる肉感を得ることに成功している。そして、この独自の語りの文体と歴史小説との相性の良さを証明している。
一方、「第二盲目物語」と副題された『聞書抄』は、石田三成の家来であった男が、スパイとして潜入した先の豊臣秀次とその姫妾たちのことを語ったものである。盲人が語り手となっているという点で『盲目物語』と共通しているが、語りをそのまま書き写すという一人称の形式をとっていない。架空の史料を創造した上で、作者がその史料を紐解いて引用しながら、物語の筋を追っていくといった形をとっている。これは、谷崎文学の最高傑作との呼び声も高い『春琴抄』と同じ手法である。しかし、『春琴抄』より後に書かれた本作は、その手法を完全には歴史小説へと昇華できていないように思う。
この架空の史料というものは、この盲人が三成の娘に語ったものを、さらにその娘が老尼となった後に、作者に語ったものを書き写したという又聞きの体をとっている為、この『聞書抄』の作者は、又聞きの又聞きということになる。さらに、史実を気にする歴史小説の性質上、この不確か性を補うために説明部分が多く、物語として読んだときにつっかえてしまう。
『三人法師』の現代語訳から始まった歴史小説の系譜は、創作意欲を満たすことだけでなく、文体の実験的な器としても大いに役に立っていると思う。広くは『乱菊物語』や『吉野葛』。そしてこの『盲目物語』の後に書かれた『武州公秘話』。それぞれの作品自体はもちろん名作だが、それらの実験から生まれた反省が、さらなる名作を生んでいることは、『春琴抄』を読めば明白である。
史実を気にするとはいっても、歴史書ではなく歴史小説であるということは、過去の出来事という不確か性を作者の想像力で補填し、確からしさを与えるところに面白さがある。この2つの『盲目物語』は、その確からしさをどのように与えるかを、試行錯誤の上で別々の方法をとっている。比較しながら読むことで新たな面白さを見つけることができるだろう。
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