朝鮮戦争の特需がおわり、不況となった経済が、再びうわむきに好転しはじめた時代。
人々の生活は均されて、大きな機械の歯車のように、毎日同じ事を繰り返す人生。
そこに生きる意味はあるのか。
鏡子の家に出入りする、4人の青年たちは、そんな虚無的な世界の中で、それぞれの生き方を探っていく。
夫と別居し、8歳の娘の真砂子と洋館で自由気ままに暮らす30歳の鏡子。道徳的な偏見を持たない彼女は、そこを訪れる若者達の情事の話を聞き、自身は決して関係を持たないことを生き甲斐にしていた。
鏡子が特に懇意にしている4人の青年。彼らは全く異なる性格を持ちながら、ひとつの共通点で結ばれている。
「われわれは壁の前に立っている四人なんだ」
この壁とは、時代の壁か、社会の壁か。4人はそれぞれの方法でそれに立ち向かう。
「俺はその壁をぶち割ってやるんだ」
学生ボクサーで単細胞の峻吉
「僕はその壁を鏡に変えてしまうだろう」
売れない美貌の俳優収
「僕はとにかくその壁に描くんだ。壁が風景や花々の壁画に変わってしまえば」
才能ある童貞の画家夏雄
「俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまうことだ」世界の崩壊を信じているエリートサラリーマン清一郎
四人は「お互いに全然助け合わない」という同盟を結び、各々のが孤独にストイックに生きる。
スポットライトは交互に当てられ、運命は作用し合わない。それぞれの道のりで一時的な成功を得る彼らだが、この道の到達するところは破滅であった。
鏡子の家には、別居していた旦那が帰ってくる。若者達の挫折を表すかのように、自由の象徴であった洋館は、平凡な人生を歩む家族の邸宅へと生まれ変わり物語は幕を閉じる。
四人の青年は、三島由紀夫の分身として抽象化された存在である。峻吉は行動、収は自意識、夏雄は感受性、そして清一郎は処世。四人の若者の性格的な個性が薄く、感情移入しづらいのと、ストーリーにおいて登場人物同士の相互作用が少ないのはこのためであろうか。
それぞれが正方形の頂点に配置されたような、四種類の象徴的な性質を持つ主人公たちが、同じものを壁と認識した上で、異なる反応を起こす。この反応こそが作品の魅力であると思う。
作品からは外れるが、三島由紀夫の人生に当てはめて、どの時期にはどの性質が強くでているかを見るのも面白いかもしれない。 若者たちの破滅的な思想は、三島由紀夫の戦後社会に持つ不満を投影しているようだ。この作品は、三島由紀夫を何冊か読んだ方におすすめしたい。
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