この題名を見たとき、私の頭に浮かんだのは、星新一のSF小説だ。
読書に乏しい私の人生において、唯一読んだと言える作家、星新一。
鋭い洞察力と豊かな創造力で描かれた、風刺画のような世界観は、毒があるけど読みやすく、落ちは毎回予想外で、子どもながら感心しながら読んでいたのを覚えている。
UFOや宇宙人を題材にしたものは、まさに彼の十八番であり、扱った作品は数知れない。
そんな、SFへのイメージのまま読み始めた、この「美しい星」。
物語の中心は、ある四人家族。
場所と時間を異にして、各々が空飛ぶ円盤を目撃する。その体験は、彼らの中に「自分は別の天体から来たのだ」という意識を目覚めさせる。
最初に父が火星人になり、次に母が木星人、息子は水星人、最後に娘は金星人になる。
彼らは自分たちの目的を「地球人を救うため」と自負し、そのための活動に邁進していく。
この家族は、頭がおかしいだけか。それとも本物の宇宙人か。
星新一作品のような、ハッと驚く種明かしを待ちながら、読み進めていく。
時代は冷戦下。
繰り返される水爆実験により、「人類滅亡」という創作世界の言葉が、ノンフィクションの世界へと侵入しはじめていた。このテーマを扱うには、ファンタジーの世界だとあまりにも平凡で、逆に今までの「金閣寺」や「潮騒」のような、いわゆる純文学の世界観ではあまりにも突飛すぎる。
そこで、このような不安定な世界観の中で、宇宙人の口から、科学の進化によって自ら破滅の道を突き進んでいる人類社会情勢に対する思いを語らせるに至ったのではないだろうか。
結局、私の期待していた、SF小説の答え合わせは最後までなされることはなかった。
この小説の中で1番の見所は、火星人の父、大杉重一郎と白鳥座61番星から来た宇宙人であり、人類の滅亡を願う羽黒真澄の大論争であろう。
羽黒は、人間の欠陥を主張し、重一郎は人間の美点を主張する。この宇宙人による論議は、「人類」という広大であり、つかみどころのないテーマを滅亡させるかさせないかの究極の二択の上で分析しており、まさに三島由紀夫の真骨頂といえる。
スイッチ1つで滅亡しかねない状況は、当時より悪化しているかもしれない。それでも、この小説を読むと、不安よりも、変な安心感を抱いてしまう。人類のしぶとさや、お気楽さを垣間見たようで、どこか頼もしい感じがする。
ストーリーとしてのこの論争をどこか滑稽に感じてしまうのもこのためだろう。この激しい言い争いは、宇宙人の取り越し苦労のような気がしてならない。
「人類はあなた方が介入してもしなくても、存続するときは存続するし、滅亡するときは滅亡するよ。」と、この世界の神が言っているような気がするのだ。
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