狂言師と月見をした戦後の思い出を綴ったエッセイ。
本を読むようになって感じるのは、今までいかに一面的にものをとらえていたかということだ。
「戦争」というものを知ったのは、歴史の授業や道徳の授業だと思う。しかし、1番衝撃を受けたのは、ジブリ映画の『火垂るの墓』だ。あのアニメは、幼心に「戦争」というものの悲惨さを焼き付けた。そして長い間、そのイメージが塗り替えられることはなかった。
もちろん今でも、それを怖いもの、良くないものという認識は変わらない。しかし、戦時中全員が全員、あの兄妹のように栄養失調に苦しみ、無惨な死に至ったわけではない。
確かに戦前、戦時中、戦後と、生活が全く変わらなかった者はいないのだろうけど、戦前にあった貧富の差が戦時中になくなったわけではない。私が今まで戦時中のあたりまえだと思って想像していたのはあくまでもともと豊かではなかった人々から見た「戦争」だった。
もちろん、この『月と狂言師』というエッセイだけを読んでこのように感じたのではない。三島由紀夫の作品を読んでいたときも違和感として残っていたし、最近、大作『細雪』を読見終えてその感覚がまた呼び起こされた。あえて文学の中に現実の戦争の空気を持ち込まなかっただけなのかもしれないが。
私は小説と同じようにエッセイというものを読んでこなかった。小説を楽しめるようになった今でも、エッセイとか日記とかそういうものをまだ面白く読めていないのが正直なところだ。これは、私がまだ、プロットの楽しさ以上のところで文学を楽しめていないからなのだろうか。今回も『月と狂言師』という表題を見たとき、おしゃれな物語を想像していたので、勝手に拍子抜けしてしまった。せっかく偉大な文豪たちの本を選んで読んでいるのだから、美文名文というものをそのストーリーに関係なく感じ取れるようになりたいものだ。
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