ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
渡りをへたる夢のうきはし
源氏物語の最終巻「夢浮橋」、訳了後詠んだ1つの歌から生まれた物語。
若くして死んだ母と新しくやってきた母、父の思惑と母の努力、そして子の願望が混ざり合い、母と母の記憶の隔たりは次第に薄れ、一人の存在へと混同されてゆく。
母を亡くした哀しみから蘇った、美しい母への思慕と憧れとが、この「母恋もの」と呼ばれる1つの系譜を生んだのだろう。
偶然にもこの書評(と呼べるかはわからないが)を書いている今、私は谷崎潤一郎訳の源氏物語を読んでいる真っ最中だ。そこで感じたのは、単に訳が完了した際の自作の歌からの着想というより、源氏物語の訳を開始した段階で、母恋もののプロットとしてのイメージを創り上げていたのではないだろうか。
あの恋多き男、言わずとしれた色男の主人公・光源氏の初恋の相手は、なんと三歳のときに死に別れた母・桐壺更衣にそっくりの美貌を持つ、藤壺という女性なのだ。先に述べた『夢の浮き橋』の内容と、近いものを感じるのは私だけではないだろう。
標題のとおり、全体を通してぼんやりとした夢の中を彷徨うような感じがしたが、今思うと母恋ものの系譜と呼ばれる作品群に共通している感覚のような気がする。この母恋ものに登場する母たちを描写するとき、自身の母親の姿を投影するときにこそ、記憶の中にいる母親と再会を果たすことができるのではないだろうか。
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