少将滋幹の母

絶世の美女、北の方を中心に、彼女に恋する男たちの姿を描く。得意とする歴史小説の形に、谷崎文学の1つの系譜である母恋ものをはめ込んだ絵巻物。

標題に『母』とあり、母恋ものの系譜に数えられる本作であるが、母子の話だけではなく、息子を含む4人の男たちそれぞれが北の方を思う姿を描いている。かつて北の方と逢瀬を交わしていた色好み平中、北の方を狙う権力者左大臣時平、老人でありながら北の方を妻に持つ大納言国経、そして、国経と北の方の息子滋幹。つまり、母恋ものとは言っても、母子の物語というのは一部でしかないのだ。しかし、他の3人の男を掘り下げることは、多くの男に愛された美しい母親という観念を確立するために重要な前置きであり、その前置きの壮大さが物語に奥行きを与え、ラストシーンをより感動的なものにしている。

北の方は、物語の中心でありながらも、今まで谷崎文学に登場した気の強い女性たちとは異なり、性格を掘り下げられてはいない。そのため、いままで貫かれてきた女性礼賛は、マゾヒズムの対象という性なる存在から、「母」という聖なる存在へと変化している。今までの作品からは妖艶な美しさを感じたが、この作品からは清浄な美しさを感じた。この点においては、傑作『春琴抄』を上回っているのではないか。

『乱菊物語』、『盲目物語』、『武州公秘話』、『聞書抄』と、歴史小説を出版年代順に読んでいると、それぞれの作品で技術的な実験が行われているのがわかる。もちろん、各作品は完成された名作であるので、実験と読んだら怒られるかもしれないが、何か1つの作品を作るときに、思いついたものを試しに採用してみて、完成したら反省して次の作品では軌道修正を行っているような、そんな感じがする。

『盲目物語』、『武州公秘話』の後に書かれた『春琴抄』は、最高傑作の呼び声高いが、架空の出典を創り出して、それをもとに物語が構成されているという点で共通している。また、『春琴抄』の後に書かれた『聞書抄』は、出典をさらに不安定なものにして、解説要素がより強くなっている。そのため、『春琴抄』のように流れるような文体はなりをひそめ、つっかえる感じがする。

そして、この『少将滋幹の母』が書かれている。ストーリーとして面白いのも理由の1つであるだろうが、あきらかに読みやすい。かと言って、『春琴抄』の文体に戻っているわけではない。解説は文体のリズムを損なうことなく行われ、物語の一部として溶け込んでいる。『聞書抄』から行われた軌道修正が成功したのだ。

登場人物の一人である左大臣時平は、かの菅原道真を太宰府へ追いやって恨みを買った張本人である。そのような歴史上の有名人を登場させることも、この物語を魅力的にしている要因であると思う。時平のエピソードは興味深く、単純に面白い。

『源氏物語』の現代語訳では、この磨かれた技術をさらに追求し、発揮しているに違いない。

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