この2つの作品は戯曲、つまり、演劇の上演のために執筆された脚本である。
先に「サド公爵夫人」が執筆され、対をなす作品として「わが友ヒットラー」が執筆された。
これは四六駢儷体を愛する作者のシンメトリー趣味であって、大した深い意味はないらしい。また、日本にある「あれは男(女)の描けぬ作家だ」という、月並な悪口への対抗意識と劇作法としての困難さに魅せられたようだ。
「サド公爵夫人」は女ばかりの登場人物で、舞台はフランス。物語の中心は十八世紀の怪物、サドであり、背景にはフランス革命がある。
「わが友ヒットラー」は男ばかりの登場人物で、舞台はドイツ。物語の中心は二十世紀の怪物、ヒットラーであり、背景にはナチス革命がある。
共に、一つ場面のセットだけが背景などを平面的に描いて設置されおり、構成は三幕である。
サド公爵夫人
創作するきっかけとなったのは、友人でもある作家・澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』を読んだことであり、サド公爵よりも、〈サド侯爵夫人があれほど貞節を貫き、獄中の良人に終始一貫尽してゐながら、なぜサドが、老年に及んではじめて自由の身になると、とたんに別れてしまふのか、といふ謎〉に作家的興味をそそられたと語っている。
登場人物は、サド侯爵夫人・ルネ、ルネの母・モントルイユ夫人、シミアーヌ男爵夫人、サン・フォン伯爵夫人、ルネの妹・アンヌ、家政婦・シャルロットの女性6人のみで、話題の中心人物であるサド侯爵は登場しない。
サド侯爵夫人・ルネは「貞淑」。厳格な母親モントルイユ夫人は「法・社会・道徳」。敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人は「神」。性的に奔放なサン・フォン伯爵夫人は「肉欲」。ルネの妹・アンヌは「無邪気、無節操」。家政婦・シャルロットは「民衆」を代表するものとして描かれている。
舞台は、パリのモントルイユ夫人邸のサロン。
第1幕は1772年の秋、話題は娼婦虐待事件(マルセイユ事件)により当局から追われる身であった、サド侯爵について。
第2幕は6年後の1778年9月、話題は釈放を勝ち取った直後、その場で今度は王家の警官に捕らえられ、さらに厳重な牢獄へ入れられたサド侯爵について。
第3幕はさらに12年後の1790年4月。話題はフランス革命によって自由の身となり、まさに帰ってこようとしているサド侯爵について。
サド公爵というと、「サディスト」という言葉の由来となった人物という知識は持っていたが、作品は読んだことがない。「他人を傷つけることで快楽を感じる男」という偏見を持っていたが、この作品を読む限りだとあながち的外れでもないようだ。
しかし、貴族階級の女性たちが醸し出す上品な雰囲気の会話によって、不快さを霞ませている。というよりむしろ、神聖なものを扱っているかのようにさえ思える。
テーマである「愛」についての考察は、サド抜きにしても、考えさせられるものである。
わが友ヒットラー
アハン・ブロックの『アドルフ・ヒットラー』を読むうちに、1934年国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が行った突撃隊(SA)などに対する粛清事件、レーム事件に対する興味が創作のきっかけとなった。粛清されるまで戦友であるヒットラーを疑わなかった、レームの愚直さ、純粋さに対して、作者はもっとも感情移入をしている。
登場人物は、アドルフ・ヒトラー、エルンスト・レーム、シュトラッサー、グスタフ・クルップの実在人物の男性4人のみ。
突撃隊幕僚長・レームはあくまでヒトラーを友と信じる右翼軍人。社会主義者・シュトラッサーはナチス左派。エッセン重工業地帯の独占資本を象徴する鉄鋼会社社長・クルップはヒトラーにうまく取り入る死の商人として描かれる。
舞台は、1934年(昭和9年)6月30日夜半の「レーム事件」前後のベルリン首相官邸の大広間。
第1幕と第2幕は事件数日前。終幕の第3幕は6月30日夜半。
ヒットラーの知名度は、サド侯爵と比較するとはるかに高い。悪名ではあるが。
歴史の授業でも必ず習うし、映画で扱っている作品も多くある。しかし、人間だったころのヒットラーを知る機会はなかった。この戯曲の会話は創作だが、友の粛清は、野望のためであったとしても、精神的な影響をもたらしたに違いない。
ヒットラーとレームの悲劇に、大久保利通と西郷隆盛の関係を類推して読んでもらってよいと作者が語っているが、国を変えるというとてつもなく大きな野望を
成し遂げるには、やはりそれなりの代償が必要なのだ。薩摩の人間である私は特に、西郷隆盛への英雄視が、大久保利通という人物をぼやけさせてしまっているが、たまにはピントを合わせてみると違う世界が見えるのかもしれない。
コメント